僕は。
小児科にの神経外来に行ってきました。私が。
病室を出た頃には一時間半も過ぎてた。
2年前の検査の結果と今までに至る経緯と、、赤ちゃんの頃までさかのぼって、
とにかくほぼ全て話しきった。
遡れば、赤ちゃんの頃は、いくら練習してもハイハイしてくれなくて、
1才になる直前にいきなり歩き始めたり、
1才4ヶ月には単語で話し始め、
1才10ヶ月には40ピースものパズルを完成させ、、正直親バカだけど、
天才かと思ってましたと。
そこからワールドファミリー(英語)を始めたり、、
2才3ヶ月には胎内記憶を話してくれた。。
先生は色々早いですね、、と大きなうなづく。
そう、あの頃は本当に天才かと思って、、
だんだん成長とともに、大きくなるのが嬉しくもあり、切なくもあり、
早くに一人っ子決定だったから余計に、神様早く大人にさせないでと思った時期もあったな。
ところがあのスピード感はいづこ。
今はゆっくりゆっくりみたいです。
私が神様にお願いしたからかな。。。
結論から言うと。。
私の話を聞く限り、お子さんは限りなくadhdの要素はあるということだ。
ただ、小学校高学年で同じような悩みを持つ親子が数人来て、薬を処方して、
吐き気や頭痛や副作用に耐えられず、結局はやめてく人が多い。
だから、困っていてもその程度ってことです、、と。
本当に困ってたらやめない。。
中学、高校で、もっと自立しなければならなくなり、その時に今と本人が変わらなくて、今よりもっと困ることが増えてからでも治療は遅くないし、実際中高生で治療をされてる人は多いんだとか。
今この受験半年前というタイミングは違うと。。
そして、話を聞く限り、要素はあっても、薬を飲むほどではないと。。
他害自傷をしない限り、薬は必要ないと。。
そうか、限りなくそれに所属はするけど、やりようがない。
目に見える障害でもないから、やはりこの世界を自力で行くしかないと。
なんとなく踏ん切りがついて。
私は、いつも、フォローすべきなのか、、、
私がフォローするからできないのか、、
優しくしたし、厳しくしたり
葛藤に揺れていたのだけど、、
お母さん、成長はゆっくりだけど、ちょっとずつ成長はしてます。
そして、フォローをしてあげてください。と。
サピにいることも、、(たとえ下位でも)すごい頑張ってるんですよ。
続けてるだけ、えらいと。
そう言われて、ホッとした。
フォローしてあげていいんだ。
フォローしてあげなきゃいけないんだ。。
帰って、りょうに話すと、、
そうか、その程度ってことだよ。
まぁ、黒だとは思うけど、、黒でも、白でも、グレーでも
なんだっていいんだよ。
あさひはそれをカバーできるくらいの才能があるから大丈夫だと。
個性があるのがすごい強みだし、俺にはないいいものをいっぱい持ってると。
りょうは紛れもない超個性派なのだけど、この人のこういう時の言葉はぐっとくる。
才能、、、か。
個性、特性、才能。。
普通、、普通てなんだ?なんなんだ?
もちろん個性的バンザイなのだけど、いつからか、
私が『特性』という言葉に敏感になってた。
そっか、才能か。才能があるんだ。素敵な言葉。。
私って単純。
半分、黒❓半分、グレー❓
結局は、私があさひの全てを受け入れていなかったんだ。。
りょうのいうとおり、
どっちだっていいことだったんだ。
あさひはあさひなのだから。。
どうしてこんな簡単な答えをだせなかったんだろ
今朝。
半分、青いを見て、、
めちゃめちゃ泣けた。
僕は、遅いかもしれない。でも 走ろうと思う。
僕は、悲しいかもしれない。でも 隠そうと思う。
僕は、負けるかもしれない。でも 戦おうと思う。
僕は、弱虫かもしれない。でも 強くなろうと思う。
人生は、過酷かもしれない。でも 夢見ようと思う。
翼は、折れたかもしれない。でも 明日へ飛ぼうと思う。
僕は、きみの望むような僕じゃないかもしれない。
でも きみの きみの心の火が消えそうな時は
そっとこの手をかざそう。いつまでも かざそう。
谷川俊太郎さんの詩のようです。
素敵です。
この心配性な私も、いっぱいいっぱい巡り巡って、気づかされることが多く、
あさひと一緒にゆっくりゆっくり成長してるんですかね。。