イエローの記憶
わたしの中で、一番古い記憶は2歳の頃。
2歳の頃に風邪が原因で夜中に急変して、救急車でたらい回しにされ、やっと病院に辿り着いた頃にはすでに半分瞳孔が開いていますと言われ、生死をさまよったことがあるらしい。。
母から聞いた話。
わたしの記憶では、ベッドの上で大きな赤ちゃん人形がある。背中に電池かカセットテープが入ってて、多分喋る人形だったと思う。それを抱っこしてる映像と、
もう一つは、ベンチにうずくまって、自分の命と引き換えに助けて欲しいと願ってる父の姿。
これは聞いた話なのか、夢なのか、わからないけど、唯一覚えてるモノクロの映像として。
そうして、わたしは生き返ったらしいのだ。
小学生の頃、5人姉妹の真ん中に生まれた私は、何と無く違和感を感じてた。
なんでだろう。家族なのに、家族じゃないみたいな。なんか、私だけが違うという感覚。。昭和生まれだから(❓)よく橋の下で拾ってきたみたいなことを耳にするけど、
本当に私はそうなんじゃないかと思うことがあった。みんな顔は同じなのに。
そうして、いつか出会う恋人が実は本当の兄妹でという設定まで想定してた。
多分大映ドラマの見過ぎ。。。
そして、それを考え出すと、どうして私はここにいるんだろうとか、
どうやって生まれたんだろうとか、
どうして、地球ってとか、、ハテナの多い子だった。
でも、子沢山だからか、違和感があるからなのか、決して大事にされてない訳じゃないのに、勝手にそういうことをとてつもなく考え悩む子だった。
そして、遠慮がちでそんな不思議なこと誰にも質問できず。謎のまま。
カトリックの幼稚園に通ってたこともあって、私は普通に神様を信じる子だったし、神様が大好きだった。根拠もなく。だからお遊戯でマリアさまを熱望したのに、宿屋の女将にしかなれなかったことに子供ながらにショック。
5人みんな同じ幼稚園だったのに、私だけが小学校3年生くらいまで寝る前に必ずベランダに向かって、お祈りするような子だった。
父とことを、、てね。
聖書では人類の始まりは、人の形に形どった土に神様は息を吹きかけ、人が生まれたとあり、、3年生くらいまで本気でそう思ってた。人間の始まりは土と。。笑
だから最後に人は土にかえるんだと。妙に納得。
サルが進化したなんてちっとも思わなかったし、
あさひはすでにその年の頃にはちゃんと知ってたんだろうな、、と思うとつくづく私はアホだなーと思う。
絵を描くのが好きで、絵ばかり描いてた。
あんなに消極的で自分を自らよその子と思ってた私が、なぜあんなにバンバン物怖じせず、家族に対して言いたいことを言うようになったのかはいつからだろう。謎。
たぶん、ある時、思い切って言ってみたら言えちゃったから、これでいいんだと思ったんだろうね。
昔から、父は家に財産を残さない代わりに将来やりたいことのためにお金を使うのは良しと言う考えで、物心ついた頃には何かやりたいことを見つけなくてはとなんだか焦らされた。長女は頭がいいし、器用だし、何より長女だし、
次女はやりたいことを見つけてすでに打ち込んでた。
私はなんだろう❓とずっと考えてた。それは今でもずっとだ。きっと。
学校の先生に憧れたけど、国籍上無理だろうと言われ、すんなり、諦め、
ただ絵が好きだと言う安易な理由でその道に進むことが自分のやるべきことだと思ってた。本気で進み始めてからすぐに自分がたいしてうまくないことに気づいたけど、他に道を見つけられなかった。
何か見つけなくては、私は何がやりたいんだろう、、考えてみたら、小さい頃からそれがテーマでそれに対して焦りを感じていた。
父は私のことが心配だと、時々言ってた。
その言葉を最近思い出して、、
結局私の何を心配していたんだろうと考えてもちっとも心当たりなくモヤモヤしてた。
まあ、それもあっていつしか記憶を辿ってて今に至るのだけど。
心配の理由。。。
小さい頃の私はマンガみたいな絵ばかり描いて、占いが好きで、それについては父にはよく思われてなかったような。それでも三女だし、基本反対もされなかった。
そんな時に、言われてたんだ。
なんか私が夢見る夢子ちゃんだと。空想の中にいて、地に足がついてないと言いたかったのか、ふわふわしてると言いたかったのか、、
夢見る夢子ちゃんで心配だと言うことだったんじゃないかって思う。きっと。
だから余計に物事を現実的に考えるようになった。
現実的に考えようとするけど、かなりの世間知らずだと言うことも
大人になってもなおらない。
そう考えると、あさひはどこで学んだのかと思うほど大人な瞬間があって、驚かされる。
大きくなるにつれ、自然と祈ることも、ぐるぐる❓の思考もなくなり、ただただ現実世界に追われるようになった。
小さい頃から地震が嫌いだ。
下町に住んでいたから関東大震災が身近で、毎年9月1日には震災慰霊祭があった。私が小学生の頃から次の関東大震災まであと何年ってカウントダウンがされて、それをついには越えてしまったけど、、関東にくると思ってたものが、阪神だったり、福島だったり、、本当に地震は怖い。
1番のピークは、りょうちゃんと結婚して、まだ二人で新婚さんで白金に住んでた頃。。
私は地震の恐怖に怯えるようになる。。なんでそのスイッチが入ったのか覚えてないけど、、何かネットで見てしまったのかな。。
私はすぐ答えを知りたくてなんでもネットでググる癖がついていた。
そこで、とある大学のナマズ研究所という地震研究のサイトに行き着き、
多分そこには全国各地での自然現象みたいなものの投稿を集めてるサイトでそれを私も見ていた。
どこどこで地震雲が出た!とか大きな鯨が打ち上げたとか、何日以内に自信がくるとか、それが当たっていたり、外れていたり、、私は恐怖のあまり、そのナマズ研究所さんにメールでやりとりするようになった。。
多分、心配で夜もねれないことを言っていたのかな、、内容は忘れた。
最終的には、ナマズさんに、地震よりあなたの方が心配ですというメールがきたのを最後にやめた。
今となっては、笑い話だけど、その時私は本気だった。
そして、その不安をいつもりょうちゃんが大丈夫、くるわけない、くるはずない、来たって大丈夫と常に大丈夫と言ってくれてたな、、、
りょうちゃんが大丈夫というと、本当に大丈夫と思えて、
もし大丈夫じゃないと言い始めたらその時こそ、大丈夫じゃない気がする。
その時のことを聞いたら、そんな時もあったね。
私、おかしかったよね、、
まぁ、人ってそんなもんだよって。
りょうちゃんは大丈夫じゃない時はないの❓
そしたら、
俺は常に大丈夫じゃない、、ここの染み取れるかなとか、、このキズ直せるかなとか確かにりょうちゃんと私の大丈夫の振り幅がデカすぎることに気付いた。
りょうちゃんはミクロ単位。私は宇宙規模。
ミクロを心配する人がなぜ、私に大丈夫と言えるんだろう。。
でも、その暗示の”大丈夫”が私に一番効く事を知っているんだ。
最近は受験のことで不安に陥るけど、
あさひには喝入れてやばいよやばいよと言ってるくせに、
友達から大丈夫だよという活字のメールを見ただけで泣けてくる。
私の好きな言葉は、、、大丈夫!なんだ。
わかっているのに、あさひに言ってやれない。。
自分からなかなか大丈夫って言ったことないかも。
大丈夫❓はあっても、大丈夫!は。。。感嘆符!重要。
あさひがお腹にいた頃には自然と地震の恐怖はなくなり、
またいろんな不安はあったわけで。。
でも、無事にあさひが生まれた瞬間顔を見て、一番最初に思ったのは、、
あぁ、顔がみれた。無事に生まれた。ああ、これで地震きてもいいやと思ったのも正直。縁起でもないけど。
それくらいお腹の中で守ることが不安だった。
こんな時に地震が来たら私逃げれんのとか。。
3,11の時は初めての大地震を体感した。
あさひは幼稚園の年中で、駒沢公園のチリリン公園でお友達と遊んでいた。
足元が大きくグラついて、めまい❓と思ったら、大きな大木が揺れてる。
バスケットのゴールもゆらゆら動いて、立っていられなくなった。
そしたら、どんどん空が暗くなって、雨も降って、この世の終わりかと本当に思った。
春休みなこともあり、すぐに義理姉の実家の島根に避難したんだ。
かと言って、安心はなく、
東京に残した家族、友達、、を思うと気が気じゃなくて、
本気でノアの箱船に乗り込みたかった。
避難したらしたで東京に帰るのが怖くなった。
それ以来、海も、よく行く熱海も、住んでいる駅の二つか、三つ先までしかいけなくなった。怖くて、自分で結界を張って、身動きが取れなくなった。
すぐにあさひの元に帰る距離、、それがわたしの行動範囲だった。
その自分縛りが何年も続いて、
それが今さいたまアリーナに行こう!というのはかなりわたしの中では進歩なのだ。
あさひが生まれてからは、ただただあさひの心配を
今に至るまで。
子育ては楽しかったけど、周りに子供がいなかったから
家族揃って初めての赤ちゃんを体感した。
常に情報収集して、育児本ばかり読み漁った。
そして、本の通りの成長に安堵した。
自分に自信がなくて、すぐに本やネットに頼り、すぐに答えを欲しがる。
いちいち悩んでたいそう深刻に悩むが、大抵のことはあさひはなんてことなくクリアして来た。
卒乳も、オムツ卒業も、、お遊戯会もピアノの発表会も、
そして、またあさひってすごい!て思うこのスパイラル。。
りょうちゃんの大丈夫の暗示と
あさひが生まれたことで、だいぶわたしはたくましくなった気もする。