you are my sunshine

3人と1匹との大切な時間。ワタシのための記憶メモ。

はんまんの引越 前編

87歳のはんまんには酷であった。。

今年の夏、正直はんまんは危なかった。
同居の姉は仕事に追われ、4人の妹と母でローテーションで薬、ごはん当番と毎日みてたつもりでいたけど、それでもはんまん一人の時間は長く、食は細くなり、一人だと水も飲まない。。
薬を変えたりしながらやりすごしても、足はむくみ、腎臓、心臓に交互にわるくなる悪循環…。
結局、日赤に一か月近く入院した。
腎臓が普通の5パーセントしか機能していないと言われ、人工透析も止むを得ないと言われ、、みんなに決断を迫られた。あの時もう誰もがはんまんはもう長くないと心に覚悟し、、痴呆もあって、個室を勧められ、みんなが交代で完全看護をした。
点滴の管をとらないよう、見張るために。
綺麗なトイレシャワー付きの個室で、寝泊まりもした。。
今まで長年蓄積された薬のせい?か、痴呆のせい?か、味覚障害もあり、食欲もなく、、点滴で驚くほど腎臓が回復してもなかなか食べれなかった。人間食べれなくなったらお終いと、医者にいわれ、カウントダウンがはじまってるんだと思った。f:id:asahicream:20151108071534j:image

退院したい一心ではんまんが気力を持ち直した。
ごはんを食べ始めたのだ。
私たちが幼い頃はらぼじが入院してて、毎週きまってお見舞いに行ってたけど、はんまんは病院内では一切水も飲まず、食べ物も食べない徹底ぶりだった。ただ単に嫌だっただけ。
考えてみたら、体弱いわりにはんまんのこんなに長い入院は初めてだった。はらぼじは物心ついた時から病人のイメージだったし、あばは入院して翌日に亡くなった。はんまんはもうかなりのおばあちゃんなのに、、死というもののイメージが私にはなかった。みんなもそうだと思う。だからこそ、みんな必死で見守り、はんまんとの時間を大切に過ごした夏だった。

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夏休みだったから、あさひもよくお見舞いに来てくれた。
夏休み後半は、はんまんの入院ほぼ一色だった。
はんまんにとって、あさひは最高の癒しで、あさひもわかって、よく身を委ねてくれた。同じ話を何度も聞いてくれた。
こんなにハグした翌日も、あさひは来てくれたが、この日初めて、あさひを忘れた。
自分の夫も、息子ですら、時折忘れてきて、それでもあさひを絶対忘れないでいたのに、、、

「お名前は?年いくつ?」
「さいとうあさひです。9歳です。」
「あら、この子かわいいね。いい子だね。
おばあちゃん近くに越してきたから、また遊びに来てね」

と。
あさひも動じず答える。
わたしはせつなかった。
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そんな夏が終わり、はんまんもうひと頑張りしてくれて、気合いで食事をするようになり、なんとか退院した。

腎臓も原因は極度の脱水だったらしく、点滴だけで持ち直し、人工透析という最悪の事態も免れた。
退院後どうするか迷った。
このまま自宅に帰ってまた繰り返すのではないのかとか、老人ホーム、保険医療施設も検討したけど、今のはんまんにはそぐわないと判断。
もう少し、家に居させてあげようとみんなが思った。

長女を含む家族が1つになった夏が終わった。

…つづく