コロナに罹りました
5月の終わり。
そろそろコロナブームも終わりに差し掛かってきたかなというほど、下火だった時期、
コロナに罹りました。
あの頃は言えなかった。。
感染源なんてわからないほど、その週はどこにも行かず、外食もせず、
会う人と言えば、身近な近所にすむ身内。
うちで、お茶した程度。。
その姉妹たちの行動も明らかで、、
そして、ほぼその週あった身内は罹りました。
母、姉、妹、姉の旦那、私の旦那、、ただ一人あさひを除く。
奇しくも、毎年スライドショーをつくり盛大に祝ってたあさひの誕生日に陽性と判明。
そこからあさひの隔離生活。。そこまでしたけど、せっかくのラグビーの春の大会の遠征合宿にはあさひだけが不参加という、、痛恨の失態。。
だけど、本当に誰もが感染源がわからず、、それでいて、しっかり罹ったのです。
わたしはショックでした。
高熱の節々の痛みよりも、かかったことへのショック。
なるはずなかったという根拠なき自信が崩れ去り、、、
でもどこかで全てに意味があるのだからと、、その意味をずっと耐え忍びながらぐるぐる考える。答えなんてみつからない。。
でも、またどこかで、わたしにはやるべきことがあるのだから、ここで終わるはずがないと
根拠なき自信を奮い立たせた。
痛みに耐えながら、、2日くらいで熱はさがり、そこからは喉の激痛。
もう話したくはないし、飲み込みたくもない。。
ただただ耐え続ける。。この尋常ではない痛みに、、コロナはただの風邪ではない、、そして確実にある!と。。笑
心のどこかで私のなかではないものとなっていましたから。
注射もうたず、マスクもしないという生活でしたからね。
側から見たら、罹って当然と思われていたでしょうね。。
わたしが罹って4日目に、旦那のりょうちゃんが発熱。
わたしが動けずただ耐えていた間、あさひのごはんやくりいむの世話などせっせとやってくれてた。
うっすらぼんやり朦朧とした先にみえたのはおかあさんのように洗濯をたたむりょうちゃんの姿。あさひの誕生日だからとごちそうをつくってくれて、、その翌日の発熱。。
初日は高熱だけど、自力で解熱し、二日めの朝にはすっかりさがり、くりぃむの散歩もいけたほどに。。
さすがのりょうちゃん、、と思ってたけど、その日の午後に急変。
喉の激痛と共に熱は上がり、痛すぎで呂律がまわらない。
それでも解熱剤は飲まないし、サプリもいっさい取りたがらず。。
せめてもと水素吸入をさせるものの、夕方様子がおかしい。
やっぱり薬のもうかなといいつつも、体に力が入らず、コップももてない。
両手足の先が痺れてるようになり、なんとかカロナールをのませて起こした途端に
心臓がつった?みたいな感じになり、、硬直。
あれ、、俺もうだめかも、、、でもいいや、、、
その言葉で救急車をよぶ。。
こんなに下火なのに、
混んでるようで杉並区から駆けつけたものの30ぷんは経っていたかも。。
もちろん相手は防護服。
なんか心臓がおかしいといっても、陽性のために、コロナ受け入れ病院しか搬送できないという。そうなると病院は限られ、しかもそこでは酸素吸入しかできないという。
いや、心臓がおかしくて、、と言ってるのに、
今の状態だと重症ではないからエクモのある病院には搬送できない。
かといって、酸素吸入しかない病院だと急変したらそこで終わり、、、と。
それでも病院へとおもったが、、見つかった先は北品川。。
帰りは歩きか、介護タクシー(数万円)、、もういろいろめちゃくちゃですわ。
そうこうやりとりのうちに、正気がもどってきた。
もともと酸素飽和度も大丈夫だったから、コロナ的には軽症らしく、、
いやいや、こちらは心臓っていっているのに、
コロナありきで回してる。
しかもこんなブームの終わりだというのに、どこも受けいれがないなんて、、本当こわいわ。
結局一晩寝て熱も下がり、心臓もおちついて、翌朝にはまたくりぃむの散歩にはいけたんですけどね。。
ただただ、死の恐怖体験をしたというトラウマをのこして。。
今、8月に入り、また感染者数が増えてますね。。
こうなると、感染してなくても普通に救急車が使えなさそう。
持病のある人はそれだけでも不安だと思います。
おかしい、世の中。。
そして、あさひがここにきてブームにのってしまった。
8月はじめの合宿にむけて、、
今度こそ行かせるために、わたしは一切自粛してましたよ。
ところが部活内でちらほら増えてきて、、まさかのもらい事故。。
そして隔離期間を考えると、ちょうど合宿最終日。
ありえない。。。ふるえたのは私だけ。