イエローの記憶
わたしの中で、一番古い記憶は2歳の頃。
2歳の頃に風邪が原因で夜中に急変して、救急車でたらい回しにされ、やっと病院に辿り着いた頃にはすでに半分瞳孔が開いていますと言われ、生死をさまよったことがあるらしい。。
母から聞いた話。
わたしの記憶では、ベッドの上で大きな赤ちゃん人形がある。背中に電池かカセットテープが入ってて、多分喋る人形だったと思う。それを抱っこしてる映像と、
もう一つは、ベンチにうずくまって、自分の命と引き換えに助けて欲しいと願ってる父の姿。
これは聞いた話なのか、夢なのか、わからないけど、唯一覚えてるモノクロの映像として。
そうして、わたしは生き返ったらしいのだ。
小学生の頃、5人姉妹の真ん中に生まれた私は、何と無く違和感を感じてた。
なんでだろう。家族なのに、家族じゃないみたいな。なんか、私だけが違うという感覚。。昭和生まれだから(❓)よく橋の下で拾ってきたみたいなことを耳にするけど、
本当に私はそうなんじゃないかと思うことがあった。みんな顔は同じなのに。
そうして、いつか出会う恋人が実は本当の兄妹でという設定まで想定してた。
多分大映ドラマの見過ぎ。。。
そして、それを考え出すと、どうして私はここにいるんだろうとか、
どうやって生まれたんだろうとか、
どうして、地球ってとか、、ハテナの多い子だった。
でも、子沢山だからか、違和感があるからなのか、決して大事にされてない訳じゃないのに、勝手にそういうことをとてつもなく考え悩む子だった。
そして、遠慮がちでそんな不思議なこと誰にも質問できず。謎のまま。
カトリックの幼稚園に通ってたこともあって、私は普通に神様を信じる子だったし、神様が大好きだった。根拠もなく。だからお遊戯でマリアさまを熱望したのに、宿屋の女将にしかなれなかったことに子供ながらにショック。
5人みんな同じ幼稚園だったのに、私だけが小学校3年生くらいまで寝る前に必ずベランダに向かって、お祈りするような子だった。
父とことを、、てね。
聖書では人類の始まりは、人の形に形どった土に神様は息を吹きかけ、人が生まれたとあり、、3年生くらいまで本気でそう思ってた。人間の始まりは土と。。笑
だから最後に人は土にかえるんだと。妙に納得。
サルが進化したなんてちっとも思わなかったし、
あさひはすでにその年の頃にはちゃんと知ってたんだろうな、、と思うとつくづく私はアホだなーと思う。
絵を描くのが好きで、絵ばかり描いてた。
あんなに消極的で自分を自らよその子と思ってた私が、なぜあんなにバンバン物怖じせず、家族に対して言いたいことを言うようになったのかはいつからだろう。謎。
たぶん、ある時、思い切って言ってみたら言えちゃったから、これでいいんだと思ったんだろうね。
昔から、父は家に財産を残さない代わりに将来やりたいことのためにお金を使うのは良しと言う考えで、物心ついた頃には何かやりたいことを見つけなくてはとなんだか焦らされた。長女は頭がいいし、器用だし、何より長女だし、
次女はやりたいことを見つけてすでに打ち込んでた。
私はなんだろう❓とずっと考えてた。それは今でもずっとだ。きっと。
学校の先生に憧れたけど、国籍上無理だろうと言われ、すんなり、諦め、
ただ絵が好きだと言う安易な理由でその道に進むことが自分のやるべきことだと思ってた。本気で進み始めてからすぐに自分がたいしてうまくないことに気づいたけど、他に道を見つけられなかった。
何か見つけなくては、私は何がやりたいんだろう、、考えてみたら、小さい頃からそれがテーマでそれに対して焦りを感じていた。
父は私のことが心配だと、時々言ってた。
その言葉を最近思い出して、、
結局私の何を心配していたんだろうと考えてもちっとも心当たりなくモヤモヤしてた。
まあ、それもあっていつしか記憶を辿ってて今に至るのだけど。
心配の理由。。。
小さい頃の私はマンガみたいな絵ばかり描いて、占いが好きで、それについては父にはよく思われてなかったような。それでも三女だし、基本反対もされなかった。
そんな時に、言われてたんだ。
なんか私が夢見る夢子ちゃんだと。空想の中にいて、地に足がついてないと言いたかったのか、ふわふわしてると言いたかったのか、、
夢見る夢子ちゃんで心配だと言うことだったんじゃないかって思う。きっと。
だから余計に物事を現実的に考えるようになった。
現実的に考えようとするけど、かなりの世間知らずだと言うことも
大人になってもなおらない。
そう考えると、あさひはどこで学んだのかと思うほど大人な瞬間があって、驚かされる。
大きくなるにつれ、自然と祈ることも、ぐるぐる❓の思考もなくなり、ただただ現実世界に追われるようになった。
小さい頃から地震が嫌いだ。
下町に住んでいたから関東大震災が身近で、毎年9月1日には震災慰霊祭があった。私が小学生の頃から次の関東大震災まであと何年ってカウントダウンがされて、それをついには越えてしまったけど、、関東にくると思ってたものが、阪神だったり、福島だったり、、本当に地震は怖い。
1番のピークは、りょうちゃんと結婚して、まだ二人で新婚さんで白金に住んでた頃。。
私は地震の恐怖に怯えるようになる。。なんでそのスイッチが入ったのか覚えてないけど、、何かネットで見てしまったのかな。。
私はすぐ答えを知りたくてなんでもネットでググる癖がついていた。
そこで、とある大学のナマズ研究所という地震研究のサイトに行き着き、
多分そこには全国各地での自然現象みたいなものの投稿を集めてるサイトでそれを私も見ていた。
どこどこで地震雲が出た!とか大きな鯨が打ち上げたとか、何日以内に自信がくるとか、それが当たっていたり、外れていたり、、私は恐怖のあまり、そのナマズ研究所さんにメールでやりとりするようになった。。
多分、心配で夜もねれないことを言っていたのかな、、内容は忘れた。
最終的には、ナマズさんに、地震よりあなたの方が心配ですというメールがきたのを最後にやめた。
今となっては、笑い話だけど、その時私は本気だった。
そして、その不安をいつもりょうちゃんが大丈夫、くるわけない、くるはずない、来たって大丈夫と常に大丈夫と言ってくれてたな、、、
りょうちゃんが大丈夫というと、本当に大丈夫と思えて、
もし大丈夫じゃないと言い始めたらその時こそ、大丈夫じゃない気がする。
その時のことを聞いたら、そんな時もあったね。
私、おかしかったよね、、
まぁ、人ってそんなもんだよって。
りょうちゃんは大丈夫じゃない時はないの❓
そしたら、
俺は常に大丈夫じゃない、、ここの染み取れるかなとか、、このキズ直せるかなとか確かにりょうちゃんと私の大丈夫の振り幅がデカすぎることに気付いた。
りょうちゃんはミクロ単位。私は宇宙規模。
ミクロを心配する人がなぜ、私に大丈夫と言えるんだろう。。
でも、その暗示の”大丈夫”が私に一番効く事を知っているんだ。
最近は受験のことで不安に陥るけど、
あさひには喝入れてやばいよやばいよと言ってるくせに、
友達から大丈夫だよという活字のメールを見ただけで泣けてくる。
私の好きな言葉は、、、大丈夫!なんだ。
わかっているのに、あさひに言ってやれない。。
自分からなかなか大丈夫って言ったことないかも。
大丈夫❓はあっても、大丈夫!は。。。感嘆符!重要。
あさひがお腹にいた頃には自然と地震の恐怖はなくなり、
またいろんな不安はあったわけで。。
でも、無事にあさひが生まれた瞬間顔を見て、一番最初に思ったのは、、
あぁ、顔がみれた。無事に生まれた。ああ、これで地震きてもいいやと思ったのも正直。縁起でもないけど。
それくらいお腹の中で守ることが不安だった。
こんな時に地震が来たら私逃げれんのとか。。
3,11の時は初めての大地震を体感した。
あさひは幼稚園の年中で、駒沢公園のチリリン公園でお友達と遊んでいた。
足元が大きくグラついて、めまい❓と思ったら、大きな大木が揺れてる。
バスケットのゴールもゆらゆら動いて、立っていられなくなった。
そしたら、どんどん空が暗くなって、雨も降って、この世の終わりかと本当に思った。
春休みなこともあり、すぐに義理姉の実家の島根に避難したんだ。
かと言って、安心はなく、
東京に残した家族、友達、、を思うと気が気じゃなくて、
本気でノアの箱船に乗り込みたかった。
避難したらしたで東京に帰るのが怖くなった。
それ以来、海も、よく行く熱海も、住んでいる駅の二つか、三つ先までしかいけなくなった。怖くて、自分で結界を張って、身動きが取れなくなった。
すぐにあさひの元に帰る距離、、それがわたしの行動範囲だった。
その自分縛りが何年も続いて、
それが今さいたまアリーナに行こう!というのはかなりわたしの中では進歩なのだ。
あさひが生まれてからは、ただただあさひの心配を
今に至るまで。
子育ては楽しかったけど、周りに子供がいなかったから
家族揃って初めての赤ちゃんを体感した。
常に情報収集して、育児本ばかり読み漁った。
そして、本の通りの成長に安堵した。
自分に自信がなくて、すぐに本やネットに頼り、すぐに答えを欲しがる。
いちいち悩んでたいそう深刻に悩むが、大抵のことはあさひはなんてことなくクリアして来た。
卒乳も、オムツ卒業も、、お遊戯会もピアノの発表会も、
そして、またあさひってすごい!て思うこのスパイラル。。
りょうちゃんの大丈夫の暗示と
あさひが生まれたことで、だいぶわたしはたくましくなった気もする。
イエロー
残り7日です。
7日あったら、何ができるだろう❓
今までそれが、あと1年、あと半年、あと100日、後1ヶ月、、そうやってカウントダウンして来たけど、、もう7日なんて言われたら、、、
親として、私は手も足も出ない。
ただ、いかに平常心を保てるか、、それだけしかないところまで来てしまった。
1月に入ってからは、本当に時間が長く感じる。
朝が早いせいか、あさひの帰りを待つ時間のせいか、、、
あさひは毎日怒涛の日々で、でも私はどこか落ち着いた時間を取り戻した。
あさひは、未来に向かって、進んでるけど、私はなぜか過去を遡ってる。
12月にファンファーレが鳴って!私にとって、変化があって、そこから奇跡のタイミングでいろんなことが流れ始め、気づきがあり、、、年が明けた。
セカオワを聴きながら、まるで読書のようにいろんな言葉が響いて、
3年ぶりに、受験本以外の本を読む余裕ができた。
絶対さいたまアリーナ行きたい!と一度も踏み入れたことのない世界に飛び込もうしていた。
決して、暇なわけでもない。現実逃避なわけでもない。
抜かりなく、書類に不備はないかとか願書のことや、卒業のことや学校のこと、体調管理や、お弁当の献立、、やる事はいっぱいなのだけど、それにかかりきりでない隙間ができた。
きょうこ先生が最後のセミナーで言ってた親が、受験を「我が事」にしてはいけないというのがこれで少しできるかもと思えた。
年末に6年ぶりにオーラソーマと再会し、つい先日から使い始めることにした。
私は選んだ2番目のボトルは70番。
上がイエローで下がクリア。
私は黄色が好きだから、これは必然的に選んだんだろう。
レモンでも、クリームがかっても山吹色でもない真っ黄色がすき。
黄色を見ると、嬉しくて花でも、洋服でも、小物でも、迷わず欲しくなってしまう。
小さい時から黄色好きだ。
あさひの赤ちゃんの頃も何かと黄色が多めだったな。。
そういえば、6年前にも2番目に選んだのがこれだったことを思い出した。
そしてタイトルが「壮麗なるビジョン」とあって、
あぁ。まさにこれから!の自分みたいな感じがして。手にとった。受験が終わって、あさひと一緒に私も生まれ変わるのだ!ってね。
キッチンの窓辺に置いて眺めてるだけで、可愛かった。
でも、ふとこのボトルついてもっと知りたくなって、検索してみると、私が思い描いていた楽しい可愛いだけじゃない意味が込められていて、正直混乱してしまった。
イエロー陽気で明るいイメージと真逆に、、不安、恐怖、苦しみ、混乱という言葉が度々出て来る。そしてそれを克服しないと明晰なビジョンが生まれないということか、、、。
このボトルの意味がわからなくて、知りたくて、腑に落ちなくて、さらにググった。
そうして、自分の中で独り言のように自問自答を繰り返していたら、
いつしか、過去へ自分探しにタイプスリップしていた。
覚悟
先週土曜日。
もう、俺たちに言えるのは「おかえり」くらいだね。。とポツリ。
本当だね。
こんなに頑張ってる、、もうそれくらいしか言えないね。
もしも、、、と言いかけたけど、
りょうは、まぁこれで公立だったらそれはそれだよ。
こんだけ勉強したんだから一年くらい学校休んだっていいよと
これまた突拍子も無いことを言い出す。
(でもさ、内申とか推薦とか、また色々あるんだよね。。。と私は内心思うわけで)
まあさ、1年くらい外国でも行って英語ペラペラになって帰ってくるんでもいいじゃん!
そうなったらそうなった。
作戦変更だよ。いかに人と違く行くかだ!
いくらでもやりようがある。と。
さんまが生きてるだけで、まるもうけってよく言ったよなーーーと。
いつもネガティブ発信のりょうちゃんなのに、こういう発想は本当にすごい!
なんか、単純にそっか、それもありだなと腑に落ちた。
私の中でももう覚悟はできていて、
きっと、これだけやってやって、行き着いた先が今のあさひにベストなご縁なんだと思おうと。。
そっか、外国もいいねーー。となんかワクワクさえする。
パパとママはもう腹くくったよ。
あとは時が来るのを待つだけ。
ラスト7日。
便乗げ●
ふた晩眠り続けたせいか、腰がやばく、、
急いで鍼しにいったら、ギックリの一歩手前だったね、、と危なかった。
そうして万全のケアをして復活いたしました。
昨日はお弁当も作れず、あさひはいいよ、セブンのお弁当でと、、ごめん。
そうして、夕方あさひからの電話。
早く終われたから帰る。それにちょっと気持ち悪くて、、、
やばいうつったの❓
また、みぞおちがキュッとなる。
とりあえず帰っておいで。。
帰る途中で咳き込んで、道にゲ●しちゃったと。
え❓
でも、こんくらいだよ、、とちっちゃい丸を見せた。
二口くらいかな。。
えーーー、まじかっ
大丈夫なの❓
大丈夫、砂かけたし、、
(そうでなくて💦)
とりあえず、もう寝なさい。。
あぁ、数日前のデジャブ。。
何、今日はもう食欲ない❓
うん、
リンゴすろうか❓
うん、
でも、結局時間が経つと、お菓子食べようとするし、
テレビ見て笑ってるし。。
食べれるなら作るよ。
今日はスタミナつけて生姜焼きのつもりでいたのに、
おかゆがいいか、、と言うと、
いや、食べれるかも。。
結局普通に生姜焼き食べれました。
聞くと、昼に食べたトンカツ弁当とサンドイッチが美味しくなかったからかなー、、
いや、その組み合わせは食べすぎでしょ。。
ただもたれただけなん❓
まぁ、いいや。相変わらず微熱だし、もはや微熱が平熱なんでしょうか。。
元気だし。
嬉しい兆しもあった。
この怒涛の特訓の成果が過去問で取れてきたのだ!
その安心もあったから少し早めに帰宅できたのだと。。
できないと自信喪失気味だったから、ここにきて、嬉シイ兆し。
今日は大事をとって早めにベッドに入る。
ママ、セカオワかけて。と。
これが最近の眠りの儀式。穏やかに。
が、昨日は、ママ、おら東京さいぐだにして。。
いやだよ、
いいから、今日はそれ聞いてお●●と遊ぶ夢見たいから。。
で、思いっきり吉幾三聞いちゃいました。
テレビもねぇ、ラジオもねぇ、、、、って
友達恋しいよね。お●●切れだよね。。
お●●も今頃頑張ってるよ。
目指すところは違うけど、一緒に合格祝えるといいねー。。
今日は早めに寝かせた。
ダウン
あさひと私の微熱は続き、最初にダウンしたのは私でした。
何の前触れもなく、日曜夕方に急な吐き気。。
生理痛のせいかなと思ったけど、だんだん増すつわり並みの吐き気。
夕飯も食べられず、そのまま寝込む。
そして10年ぶりくらいのかなりヘビーな嘔吐をして凹んだ。
そこからただただ眠る。
熱は夜中に37.7でピークを迎え、一晩吐き気でうなされた。
やばいインフル❓いや、ノロかも。。ヤバイヤバイそう思いながら眠り続け、
朝一で病院へ。
検査の結果はインフルもノロも違った。
胃腸炎、、、と言われ、心労ですかね。と。
でも、1日、微熱は続き節々が痛かった。
よかった。何でもなくて。
そして、予防にリレンザをゲット!また安心のアイテムを一つもらえた。
これで乗り切ろう。
微熱
昨日夕方、37.2度、微熱があるから帰らせますと、
先生からのメール。
わたしは一瞬みぞおちがキュッとなる。
やばい、来てしまったかと、ワナワナする。
あさひからの電話で、わかったからとりあえず帰っておいで。。と
今日も遅いはずだから、あさひリクエストの夕飯はまだできているはずもなく、、
しかもクックパッドで本格イタリアンの味を再現!ボロネーゼというわけで、プチトマトをオーブンで1時間焼いていると段階という、、、
あさひは帰ってすぐさまパジャマに着替え、毛布を持って、リビングソファに横になる。
なんだか嬉しそう。
熱は相変わらず微熱。
食欲はあるようで、本格イタリアンの味のボロネーゼを普通に完食し、団欒し、なぜかまたYouTubeでケロロ軍曹というアホアニメを見て、なにもせず、早々9時代には寝た。
とちゅう、何度か測るが37.1くらい。
わたしの中で大丈夫という気持ちが強く、これは漢方の好転反応に違いないと思うほど。
インフル予防接種はしてないものの、
ヤクルト400、R1ヨーグルト、板藍茶、マヌカハニー、紅茶、緑茶、甘酒、、極め付けは学校に行っていない!あらゆることをやっているから、やられるはずはないという妙な確信。
ちなみに私も測ったら、37,2度、ビンゴ!
わたしの場合、生理前という、わかりやすい微熱とわかりやすい眠気。
わたしも早く寝てしまい、
朝方早めに起こすが、すっかり病人モードのあさひは起きれない。だるい、つらい、熱あるアピールで1分おきに熱を測るが、36.8から37を行ったり来たり。
なんなの?熱あげたいの?下げたいの?どっち?
この時期、疲れてない受験生などいないわ!
わたしはルーティーンのように、、弁当を作る。
「サザンカ」をあさひに聞こえるようにかけながら、自分こそを奮い立たす。
あさひは張り詰めた糸がきれたように、たるんでしまった。
そりゃそうだよ。眠いよね。辛いよね。
今日くらい休みたいよね。
わかっていながら、、結局は起こす。
あさひは起きてからも頻繁に体温計を測り、結局落ち着いたのは36.5。下げたんかい!
涙が出てくる。
なんでママが泣くの?
あさひが泣けないから代わりに泣くんだよ、、
そういうと、あさひもポロポロ泣いた。
泣くとスッキリするからね、、泣きな。
わたしは涙腺が完全崩壊なので、すぐ泣ける。
泣くことは浄化らしいから。
あさひも浄化されたのか、やっと勉強にとりかかる。
微熱があるということは、体の中で菌と戦ってる証拠なんだよ。体の中でも戦っているんだ、、あさひは。
わたしね、最後の最後は踏ん張れない子だった。
父の死のせいにしたり、
受験勉強は眠気に勝てなかったし、
試験近くなると不安すぎて、地震が起きればいいのに!そう考えてた。
みんな、こどもはそうなのかもしれないし、
だから気持ちはよくわかる。
そして、わたしは失敗した。勝てなかった。
自分に負けた。
まあ、結果的には、だからこそ、 今があり、あさひがいるから、、全て丸なんだけどね。
そんなこと、あさひに今は言えない。
今は、ママみたいに失敗したくなければがんばれとしか言えないよなー。
いつかあさひが大人になって、この中学受験を振り返ったとき、色々大変だったけど、この戦いには意味があって良き経験だったと思えたら、そのときが丸かなー。
本当に頑張ってる。
だからこそ!勝ち抜いてほしい。
試されてる。
自分に負けるな。
あの頃のわたしに言っても、目先の眠気に結局は勝てないだろうな。
だから、わたしがいう言葉なんて、頑張ってる戦士には、届かないだろうな。
それでもわたしはあと残り14日
言い続けると思う。
喝入れながら、サザンカ聞いて涙しながら。
夢を追う君へ
思い出して くじけそうなら
いつだって物語の主人公が立ち上がる限り
物語は続くんだ
嬉しいのに涙が溢れるのは
君が歩んできた道のりを知っているから、、、
帰れま10!
学校を休んで1週間が経った。
あさひは毎日平日も祝日も休みなく朝から出かけているので、
もはや時間の感覚も学校に行ってない罪悪感も何も感じなくなった。
先週末は、学校の冬祭り&餅つき大会もあって、
こそこそ見つからないように、キックボードで通り過ぎたのだとか。
ここ最近は22時近い帰宅で、少し心配。
やることはあるんだろうけど、体力的にも精神的にももつのか❓と。
学校を休んでまで、12時間近く塾にいる、、、
こんな中学受験生いるんだろうか❓
学校に行きながら、サピに通ってたら、
どうなっただろうか❓
ここまでやっても結果が結びつかなかったらのリスクを考えると
確かに学校休むのは勇気いるな。
こんだけやっているからこそ、あさひもやっと自ら机に向かう日々が出てきた。
やらざる終えない。やるしかない。
本番まで20日切った今となって、ようやく。。。
これは、間に合ったと言うのか、、
もう少し早ければ、、、なのか。
理社のテキスト1から順に総確認して行く作業をしてるらしく、
本当に膨大な量のプリントをこなしてる。
合格できるまで帰れま10。。
そして、忙しすぎて学校のことも気にならないし、帰ったらご飯、風呂、爆睡、、である。
こんなあさひの生活を知ったら、お友達はみんなドン引だろうなと思う。
どうせ、あさひ休んでいいなーと思ってるだろうが。
サピですら、1月入ったら、自信を無くさないように、ゆるーく難しい問題は一切やらないと言ってたし、この無謀とも言える追い込み且つ荒治療がどう影響するのか、、、。
私は見守るしかない。
長引く咳と鼻づまりの薬をもらいに朝、内科によるとオープン前から人だかりで、
ビビって帰ってきた。近隣どこもそうらしい。近付けない。
あさひの舌の表と裏の写メをとり、漢方薬局に駆け込んだ。
写メを見て、
あぁ。体に熱がこもって、のぼせてる。
水分不足、潤いがない、、、胃腸の粘膜が弱く、
これじゃ、薬飲んでも効かないね。
第一、こんなに続けて薬飲んでも効かないなら薬合ってないあるよ、、と言った具合で、
漢方で体質改善させつつ、風邪薬を出してもらった。
確かにあさひの体質は当たっていた。
高額だったが、致し方ない。
長年のあさひの悩まされた体質だから、やはり漢方のまなきゃな。
今日は少し早めに帰れて、家で自習。
また明日。
この生活もあと16日!
炎の料理人
りょうちゃんの腰痛がまた徐々に悪化してきている。
この夢のようなひと月はなんだったんだろ。
痛みと苛立ちの日々がまた始まってきている。
以前よりも、こじらす前にまた整形外科行来なよって言ったけど、多分行かない気がする。
注射打っても薬飲んでも一か月もたない。
どうせ治んないなら付き合うしかない。
どうせなら歩けなくなって車椅子のが楽か、、とまた嫌なことを言う。
付き合うしかないって、、(わたしも?)
わたしはやるだけのことやった!
ゴッドハンドにも出会えた!
本人がやる気がないのなら、、もうどうすることもできないかも、、逆戻りなのかもと思った。
そう言いながら、今日はあさひに夕飯を作ると。
昨日からまた鶏ガラをコトコト煮出し、スープを作って。
気持ちは嬉しいし、わたしも楽だし、ついそれに甘えてしまうけど、たいていりょうちゃんがキッチンにたつと、ろくなことはない。
そして、そんな怒るならもう作らなくていいよといい、向こうも2度と作らねーよとなる。
原因は、りょうの手際の悪さの自分への苛立ち、
見たいテレビ番組がはじまってしまったこと。
不器用な自分に暴言をはき、腰痛へのイライラ。
わたしは手伝う気もあるし、ただりょうがどうしたいかがわかんないからアシストは難しく、イライラされても、なるべくスルーするすべをだんだん身につけたけど。
あまりにも怒りながら作る料理に腹が立ち、あさひを迎えに行ってくるとクールダウンに家をでた。
くりぃむは、さっきから察してわたしのそばを離れないし、ママ連れてってとジャンプする。
今頃、荒れながら、怒りの料理をつくっているのだろう。
わたしがどんなに丁寧に気持ちよく生活しようとしても、、。
7時に帰れそうと夕方のあさひの電話をあてに出てきたのに、もう8時になろうとしてる。
寒い。
セカオワにはまり、「ふたご」を読み終えた。
冒頭で彼はわたしのことを「ふたご」のようだとおもってる。にやられ、グイグイ引きこまれた。
そして、思い出した。
りょうちゃんと付き合い始めの頃、お互いをよく知らなくて、家族のことや亡くなった父のことや、生い立ちをたくさん話しながらいた時、
りょうがそう言ってくれたことを。
ふたごの気持ちでいようと。
それがすごく嬉しくて、本当になんでも話せたし共有した。
そう思い出しながら、この本を読み終えた。
苦しいのか、せつないのか、これでよかったのか、こうするしかなかったのか、激しい物語だった。
私たちにこんな激しさはもちろんなかったけど、
ふたごの気持ちと言ってくれて嬉しかった日々が遙か遠い記憶の中に埋もれていた。
読み終えた矢先の、これですわ。
炎の料理人。
ちなみに、メニューは中華丼。
お腹すいた。
あさひはまだ帰れなそうだ。
吐き出したら、スッキリして、帰れそう。
くりぃむがさっきとは違うガクブルに。
8時半。
あさひが頑張ってるのに、親たちは何をしてるんだ。
帰ろっと。
りょうの怒りに乗らなかった、
大人な自分を褒めてあげよう。
追記
昨日結局、あさひの帰宅は22時。
強み
いろんな方のブログを見ると、一月校受験真っ只中で、結果も様々でこちらも緊張感を味わってます。
あさひは学校に行かなくなった分、めいいっぱいD塾で一日の大半を過ごしてます。
朝9時20から夕方6時もあれば夜9時とか、、その分、家に帰ったら思いっきり息抜きさせてあげようと決めました。アマゾンプライムでアラレちゃん見る程度だけど。
スッパマンを見ながら梅干し食べるみたいな、、ほっこり。
おととい、ついに理社確認テスト、満点取れるまで帰れま10的なテストが始まり、
それは噂で聞いていて、高校受験の話だけど、本当にできるまで帰れない。夜22時、23時とかザラで、、みたいな。
その日が突然やって来て、
電話ごしに暗い声で、今日随分遅くなると、その頃は20時を過ぎてて、、
なんか食べた❓
いらない。。
結局21時くらいに先生から電話きて、私は迎えに行ったのだけど、お灸をすえる意味でやりましたと、来週は早く帰すようしますが、緊張感の足らないあさひに喝を入れたと。
あさひは、そこからブーブープリプリ文句タラタラ。
絶対、あんなやり方おかしい、、あんなんじゃ、あさひはできない。。
でも、あれが先生のやり方なんだし、できないんだからやるしかないよね。。
プリント21枚渡されて一問でもミスがあると最初から21枚やり直しなんてありえない。
その紙みただけで無理って思ったら、全然できなくなって、、
あぁどうしよう。絶対できないと。
翌日になってもそのことが気がかりで珍しく朝8時から机に向かう。
いやいや、いい兆候が出てきてるではないかっ私は内心思った。
先生作戦成功です!と。
午後には志望校の入試対策説明会が子連れであって、初雪の中向かう。
その間ずーっと、プリプリあさひ。
今日、先生に言う。やり方変えてくれと。。
まじかっ。この土壇場で先生に盾突く気か!と。
でも、やるのはあさひで、あさひがいいたいなら、ちゃんと話してスッキリしてと。
4時半に説明会が終わり、急いで帰る。
遅くなりそうな気がしたから、駅前でラーメン屋に入る。
小雨の中、18時に塾に入った。
それから、気づいたら20時になってて、
あさひからの電話。
先生と話したよ。
あさひの言うことわかってくれてやり方変えてもらった。
だから調子いいから、今日このまま、まだやってくねと。。。
声は明るかった。
結局、昨日帰宅したのは22時。小学生で最長記録らしい。
やる内容も量も一緒で、21枚一気に渡すんじゃなくて、小分けに渡してほしいがあさひの主張でした。小分けにしてもらえたら、あんなに全バツだったのがほぼほぼ合格できて、なんで急にできたの❓と言われるほど。
あさひもすっきりして、せっかく調子よかったからまだまだやれた、全然疲れてないと。
行く前は、ああサピ辞めずにサピのままのがよかった!とぼやいてたのに、
帰り道では、先生と仲直りした。
D先生に美味しいもん食べさせてあげたいと。。。いつもカップラーメンだからと。
あさひの意思の強さが、改めて感心しました。
此の期に及んで、言うか!と思うこともちゃんと自分で言えるのです。
そして、納得できたら、ちゃんとやり抜こうとする。
そこにズルさはなくて、、、人として尊敬です。
私よりずっと大人。
受験を通して、あさひが大人に成長してきてるんだな、、、
あさひの気持ちを尊重しなきゃなと切に思いました。
22時過ぎに帰宅して、もちろん腹ペコで。
でも、こんな時間に食べるものはなく、甘酒と梅干しを食べながらアラレちゃんを見て笑ってた。
顔はまだまだ子供なので、今だにママ一緒に寝よと言ってくる。
このあさひの強さはどこから来るんだろうと思いながら。
まだまだ戦いは続く。
決戦まで18日!