you are my sunshine

3人と1匹との大切な時間。ワタシのための記憶メモ。

ごめんね、ワタシ

今日、波動セラピーというものを受けました。

全く、前情報なしで、私の不調を心配してくれた友達Mちゃんの紹介で、、

でもその友達の紹介は間違い無いので、内心ドキドキのワクワク。

まず電車で1時間、駅から歩いて15分ほどという距離を、この痛い足をひきづっていけるのかという不安も抱えながら、、でもなんとか不思議といけた。

そこはシンプルなサロンで後で調べると、全身の波動をスキャンしてバランスを調整する機械のようなもの、、その間、ずっとカウンセリング。

その方は、私の状態とシンクロできるらしく、、、

 

来てすぐに、うぉー!って泣きたい?叫びたい?ことあるでしょ。

心が荒れてると言われて驚いた。

私の治らない不調の原因は、、、私の気づいてない潜在意識から来るものだと。。

ピンとこず。。

そういえば、ここ来るまでの1時間の電車の道のり。。

今日はおばあちゃんの誕生日でなかなか会えないおばあちゃんの写真が毎年の誕生日の様子でFBに挙がったのをみて、スマホの写真からメモリーを編集して、思わず、泣きながらここまで来たことですか?と。。違う。

そういや、、Mちゃんにも前に、私に色々苦労の連続だったんだねと言われたことがあって、

その時もピンとこず。。

それから、なんかあったかな、私?と考えてみたけど、思い当たらない。

そのことを話すと、大抵いろんなことがありすぎた人は大丈夫と蓋をするらしい。

そして、蓋をし続けて、自分を労わらない結果が痛みとなって症状に出てくることがあるらしく。。

そう言われても、ピンとこず。。。

今ですか?昔ですか?

今は、私だいぶ人が変わって、すごく毎日穏やかなんですよといったけど、、

多分、ずーっと昔かなー、、今では無い。と。

先日のレイキレベル2の時も過去のカルマに向けてのヒーリングを教えてもらったけど、

私には関係ないやと思ってたほどなのに、、、。

それでも、先生は、、んー、なんだろ、、なんか絶対あるんだよ、、と。

で、色々話していく中で、私の場合、、コレッといった衝撃的な印象に残る、封印したくなるような事件はないものの、、(たぶん)

きっと、生まれ育った当たり前にあった家庭環境や、国籍のこと、父のこと、家族の病気、お金の問題、、そういうしがらみ、人間関係。。のなかで培われた染み付いた私の思考が邪魔をしていたり、、周りの結構な不幸な?環境に身を置きすぎて、

自分の悩みをこの程度はと軽んじていたこと。そして、周りの心配ばかりしてきたこと。

心配のあまりそれが常に頭にあった、、、特に旭という存在が生まれるまで、生まれてからは心配の矛先は旭に向くのだけど。

悩む癖がついて、悩みがないと落ち着かないというか、どうでもいいことに悩んでたり、

悩みを作り出したり、悩んでる自分の方が活性化するというか、、、。

変だけど、そういうところはあるかも。と。

昔、誰かに言われたことある。悩むの好きだよね。。て。

大家族だったから、人の数だけ悩みも尽きなくて、姉妹も多い分、女ばかりというのもあって、悩みや愚痴は日常茶飯事で、、染み付いていたのかも。誰かが悩んでると、みんなで解決みたいな。。。

だから今だに、放って置けない。仲がいいといえば、そうなんだけど、、

頼りあってる。。依存って言うのかな、、。

私の最近の目覚めのプロセスも、、これから時代が大きく変わることも、

みんなに教えたくて、一緒に乗り越えたくて、

家族向けの小さなライングループに私が得た、気づきを発信してたりする。。

みんなで良くなりたくて。

周りはどうかわからない。うざいと読んでない人もいるかもしれないけど、それで、

救われたといってくれる家族もいたりしてうれしかったりもする。

とにかく、、、悩み、辛い、苦しい状況が当たり前の家庭環境だったので、

いやいや、もちろん楽しい、幸せ、団結っていういい側面だって、もちろんあるわけで、、。

ただ、そういう中で育つと知らず知らず、私の中で、私だけ幸せになれないって発想になってたりもする。。

私だけ、子供がいてごめんねとか、

私だけ、生活が安定しててごめんねとか、

なんだろう。。変な罪悪感があったと言うか、、

その分、みんなであさひを可愛がったし、お金の面でも協力したし、

みんなが幸せになれる方法を模索して、

そう言う意味でも今に行きついてレイキを学んだわけで。。

だから、私の悩みなどみんなに比べればちっぽけと。。

話の中で、、

あさひの話になって、、

息子が去年は骨折を3回もして思うように、試合も部活もできず、やめられず、

友達関係も微妙で、、でも今年になって、私があまり心配しなくなって、そしたら案外楽しそうで、、

息子も、今年こそは怪我しないって決めたから怪我してないんですよ、あざや肉離れはしてますけど。。試合にも出れて頑張ってと言う話をしたら、、、

私の問題点はそこ!と言われた。

 

怪我してないんですよ、、あざや肉離れはしてるけど、、、

 

それは十分立派な怪我ですよって。

 

そうやって、苦しみのハードルをあげてる。。

自分も悩みがあっても、周りに比べたらこの程度は悩みじゃないと思ってると。。

 

はぁ、なるほど。。確かに矛盾してる。

 

と言う、、。

でね、その時はっと気づいたんです。

 

私が目覚めた気分でいたけど、まだまだだったと。

現実は全て私が作り出してる。。

 

母のことを、なんで、こうなんだろう。。本当はすごい

いっぱい抱えてるはずなのに、大丈夫と笑ってる。。といったこと。

 

みんなに自分軸、自分を大切に、、と言ってきたこと。

 

私が言ってきた事全て、私自身に言ってたの?

目の前のことは全て鏡に映った自分とも言われるけど、、まさにこのこと?

と、走馬灯のように、、私の中でこだまする。。

 

その小さな自分に対しての無視が、、こんなにも痛いのか。。

小さい時の環境は、変えられないし、それが当たり前だったから、不幸だとも思わないし、

気づかない。。でも、側から見ると、、そうそう当たり前ではないらしく。

私だけでなく、家族みんながじわじわ染み付いた潜在意識の中で今の不調をつくりだしてると言うことにつながる。

心から私がマインドを変えれば、、私が心からハッピーになることを自分に許せば、、

今からでも、変えられる。

そして、それをまた受け継ぐこともなく、あさひにとってもハッピーなのだ。

怪我を怪我と認めないでいたら、あさひもそう言う思考になってしまう、

言えなくなってしまうのだ。この程度だと我慢しなきゃとか、、。

まぁラグビーに関しては怪我のハードルはちょっと基準が狂ってる気もするけど。

何事においてもだ。。

こんなにも家庭環境、幼少期は大切なのだと思い知った。

本当に私は無意識なのだから。。むしろどの家庭もこんなもんじゃないの?って思ったりもする。それでも、うちはちと複雑だった。だから自分にケアが必要だったのだ。

こんなにも痛いなんて。。

 

そして、ホメオパシーを3つぶその場でいただきました。

軽くツボを押してもらって。

そして行きよりも足取り軽く、買い物までしながら無事に家にたどり着いた。

 

一番の理解してるはずの自分を許してあげれなくて、

ごめんね、ワタシ。