you are my sunshine

3人と1匹との大切な時間。ワタシのための記憶メモ。

世界に一つだけのお守り

ポカポカ散歩日和。

前から気になってた千駄木にある”ひいらぎ”というお店に行きました。

一粒ずつ自分で石を選んで作るお守りブレス。

りょうちゃんと

あさひにも直感で一粒ずつ選んでもらって、

まさに世界に一つのオリジナルおまブレが仕上がった。

可愛い❤️

少し早い誕生日プレゼントにいただきました✨

身に着けるお守りが欲しかったから超嬉しい。

大事にします✨

 

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ワタシが最期にしてあげられること

 1月に入り、二日間にかけて、レイキ最後のレベル3を習得しました。

宇宙と共鳴し、さらなる精神性の向上が重要なテーマです。

それらを呼吸法、瞑想法、様々な技法を通して、

学びは深く、そしてパワフルで、

連日ともに、帰宅すると、なんだか好転反応かぐったりしてしまったほど。

ここまでで全てのレベルを習得し、ここからは、常に日々、自分鍛錬の日々になります。

ヒーリングをするということは常に、ヒーラーはニュートラルでなくてはいけない。

精神性向上、、まさにそれなのです。

自分を信じて、宇宙を信じる。

時には流れに身を任せる。

なのです。

 

12月の半ばに祖母の危篤の知らせがあり、一時は脱したものの、

お正月明けてから、2度めの誤嚥性肺炎もあり、

今はもう何も口から入れられず、ただその時が来るのを静かに待つ状態が続いてます。

コロナ禍で誰もお見舞いにいけず、会えても、防護服をきて、たったの数分の面会を許される程度で、、それも、もうかれこれ数日会えていない。。

93歳まで長生きして、誰がこんな最期を想像できただろうか。。

でも、それでも、コロナ死よりはマシなんだと、、、。

そうして、私たちは、何もしてあげられない時間を過ごしながら、

はんまん をどうやって見送ろうかと、冷静に葬儀会社を探し始めた。

そして、会えない時間を、

はんまん との思い出を噛み締める時間、

自分たちの気持ちの整理をつけるための時間、、を

過ごしてます。

 

一連の私の目覚めが、レイキの学びが、ここにきて、やはりお導きだったのかと思う。

きっとレイキを学ばなかったら、今の私の心持ちは違う。

心配と不安と悲しみとどうしようもできない怒りと、、、

でも、

今は、ただただはんまんにキラキラ波動を送り続けてる。

穏やかに、安らかに、包まれて、安心を送り、自分も安心している。

それが、最期に私がはんまんにしてあげられること。

 

冬休み中に、突然、あさひがスターウォーズを見返そうと一緒に1から6まで、ストーリー順におさらいした。

あさひが小学生の頃受験の息抜きにスターウォーズを見出して、私もその時初めて見て、

それなりに面白かったけど、

今改めて見直すと、、、全てが繋がってることに気づく。

 

一番の驚きは、、毎回、冒頭にはるか遠い昔、、、と始まるフレーズ。。

何でか、宇宙の話だから、すっかり遠い未来の話だと思い込んでた私。。笑

でも、今ならわかる。

はるか昔、、なのも、

フォースも、ヨーダの言葉も。。

意識が現実を作る。

全て自分の中にある。

今の私ならわかる。。

 

だからこそ、ハンマンにもそうなのだ。

意識、イメージがどれだけ大事なのかということ。

私はそれを心がける。

 

はんまんの終わりと共に、

新たな時代も刻々と変化してる。

日本では相変わらず、平和ボケのような情報しか目に映らないけど、

世界の裏側ではこれから起きる変革に向けて何かが進んでいる。。

どうか、無事にはんまん を送り出せますようにと

今はそれを祈るのみ。

 

レイキの学びは、私にとって、大きな強みになった。

学びながら、自分の人生を振り返り、家族を振り返り、日々の生活から気づきがあり、

ラクルがあり、大事な人を時には癒し、なにより自分探しの旅だった。

一言では言い表せない。

 

でも、だからこそ、思える。

大丈夫。

かつて、りょうちゃんに大丈夫と言ってもらわないと、大丈夫と思えなかった私が、

確信を持って言える。

大丈夫。

この世は全て大丈夫なんだよ。

自分が安心して、幸せになって、周りも幸せにする。

まさにレイキの教えの”安心立命”なのだ。。

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2020年ありがとう。

今年のはじめごろ、、

早くも私の中で、ああ、2020年終わったな、、というのが印象的でした。

四季もなく、

時間が止まったまま、動いてるような、

自由に身動きも取れず、

今まで会ってた人たちが目の前から消えた、、

人目を気にして、

深呼吸もままならない、

 

そんな窮屈な日々の中で

自分の内側に向き合うしかなくて。

 

そしたら、それまで終わったなと思ってた2020年が私の中でカラフルに動き始めた。

大切なものが何なのか。

自分は何なのか。

すごい流れに乗って、

たくさんの気づきを得られた今、、、

今年を振り返ると最高の2020年だったことに気づく。

 

2020年、ありがとう。

この一年の私の大変化を、ありがとう。

 

そして、こうしてまた年越しを家族と過ごせる日常に感謝。

来年は、どんな年になるだろうか。

きっと、また期待を裏切る幕開けだろうか。。

どんなことがあっても、また来年の今日、、、

こうして、年越しを穏やかに迎えられていたら、きっといい年だったと思えるはず。

私は、そういう周波数で生きたい。

もう揺さぶられない。自分軸で生きる。

だから大丈夫。

きっと大丈夫になる。

来年2021年も。

 

 

 

クリスマスの懺悔

12月25日クリスマス

 

親子で学校呼び出し。

校長室で一連のトラブルのことで注意を受ける。

先生方の話を聞きながら、胸が熱くなって、

なんだか切なく、やりきれない思いでいっぱいになった。

あさひを庇うつもりはなく、

子供同士よくあることじゃないのと軽んじるつもりもなく、

ただただ、去年のあの時のあさひと自分が重なって、

とてつもなく重たくなった。

校長室を出て、思わず、別室で泣いてしまった。

事情を知ってた担任も泣いてくれた。

後から別室にきたあさひも泣いてた。

 

去年のあの時、担任に相談したものの、夏休みを境にうやむやに終わってしまったこと。

毎日部活で顔を合わすし、合宿もあったし、うやむやに終わらすしかなかったこと。

そうした日々の中で、あさひが一人で、乗り越えて今あること。

あの時、こんなにきっちりケリをつけることができたら、

こんなことにならなかったんじゃないかとさえ思う。

そのメンバーには、あさひをいじめてた子もいたから。

結局、その子らは、あさひのいじりを軽んじてたし、反省すらしてなかった。

そしてやられてたはずのあさひは、いつしか、やられる子の立場をわかってあげれなかった、、それは、無意識にやる子とちょっと違って、悪質?になってしまうんだろうか。。

なんか、そう言われてる気がして私は悔しかった。

 

あの時の記憶が、あさひにはあまりない、思い出したくないのか、封印したのか、

今が良ければそれでいいのか、、あまりにも楽しそうだから、

私も、あさひが良ければそれでいいのだと、全てを許した。

もしかしたら、

やられても、自分をうまく持ってく方向を選んだ。曖昧にしたことで、今仲良くなれてる。。あの時はあれでよかったと。。

でも、あの時も相手はじゃれあいのつもりだったとか、遊びの延長とか、そんな言い回しで、

相手のお母さんたちも、一人っ子で免疫がないからじゃないかとか、

子供同士のいざこざに介入するなんてとか、、、

なんか、結局言われっぱなしで、

もやもやが残る。

 

でも、あさひが結局一番仲良くなれているのだから、、、

確かにその子たちも決して悪い子達じゃない。

今となっては、いじめなんてことじゃないのかもしれない。

でも、あの時、きっちり、お互い過ちを誤って、和解し、親も、それを認め、

軽んじなければ、少なくても、

あさひも付き合い方の度合いや、やり過ぎ度合いとか、、

もう少し違ったんじゃないか、、。

人それぞれこの程度の基準が違う。

違うから、受け取り方が違うから、いじめなんてことになる。

もちろん、聞く限りで、

今回も大したことではないとも思う。

でも、相手が訴えてる以上、それはダメなんだ。

大したことなんだ。

大したことないなんて思うのはいつも加害者の方。

大したことなくないから、訴えられたのだから。

去年のあさひの件の終わらせ方を間違えたのではないかと思った。

きっとこんなことはそこらじゅう起きてそうで、中学生なんて

そんなもんだと思う。そうやって、学んでくし、

私の頃を思い出しても、そんな毎日だった。

でも、やっぱり訴えられて、校長室なんて呼ばれたら、どんなに些細でもアウトなわけで、

でも、去年のことをきっちり、締め括れなかったツケが回ってきた気がした。

 

それが私の中で、また揺り戻されて悔しかったし、切なかったな。。

でも、これもあさひにとっては、学び。

 

今回の件で、あさひは自覚がなくて、

自分の言ってしまった一言についても、記憶になく、

聞いてもわからない、知らないという。

じゃ、相手はどう思ったか、相手の立場になって考えて、誤魔化すな、逃げるな。

ちゃんと考えろ、、、そうすると、、

あさひも、だんだんわかってきた。

もしかして、あの子はこんな気持ちだったんじゃないかと。。

スマホで、ながらYouTubeを垂れ流しで、だらだら、、思考が停止してる日々。

でも、一つ一つ考えればわかること。

そういう、人の気持ち、人としての考えを忘れてはいけない。

 

それを深く考えさせられたクリスマス。

あさひにどこまで刻まれたかな。

 

 

冬至!風の時代へ。。

12月21日 冬至

一年で一番太陽が短い日。

そして、また明日から陽のパワーが増して、”風の時代”に入る。

 

夏以降、私の目覚めと共に、ずっとキーワードの風の時代。。。

どんな時代になるんだろうか。

そよ風、、

爽やか、

嵐、、

熱風、

逆風、、、

追い風、、、

風と言っても、表現は様々だ。

 

200年以上の時代の境目にこの地球に生きてる私たち。

見届ける意味がある、権利がある。

 

先日、三浦春馬主演の映画”天外者”を見た。

明治維新から江戸へ。

小判から、紙幣へ。

ちょんまげから短髪へ。

着物から洋服へ。

刀からピストルへ。。

 

そして、今、、がまたその時なのだ。

紙幣からデジタル通貨?へ

物質世界から精神世界へ

きっと大きく時代は変わるし、翻弄される。

ずっと言われ続けてきた、だからこそ、

自分の軸を作ること。

揺らがない自分の意思を。と。

この時代の法則を知った時、すごく怖かったし、

何を誰を信じていいかもわからなかった。

新たな変化なんて見たくも知りたくもないと思った。

 

でも、レイキと出会って、

世の中を知って、

どうせいつかは死ぬのだ、見届けてやろうぞ!という気持ちになった。

だから好きなことをしようと。

言いたいことをいうし、

自分の身は自分で守るし、

好きなものを好きな人と食べるし、

最近CMで見かけるアメコミのワンダーウーマン

心はあのくらいの強い気分。

地球を世界をこの子たちを守るためなら、私は戦える。。

そんな気分になる。

 

どうせいつかは終わりが来るのだ。

どんな終わりなのか、その時がきたら、

そっか、私こうやって学びを終えるんだと冷静に思ってそうだ。

だから諦めない。

心を闇にのっとられない。

不安な闇にとらわれない。

コンフィデンスマンの世界に騙されない。

 

私はナウシカのように、風に乗ってこうと思う。

 

おまけ。

先日、アーユルヴェーダ料理教室で習った、ビーツとターメリックのカレーを作りました。

付け合わせに

ひよこ豆とキノコのサブジ

・白菜のトーラン

・サンボル

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真っ赤なカレーが可愛い。

鉄分たっぷりのビーツと肝臓に優しく、免疫力たっぷりのターメリック

中2男子のためにチキンも添えたよ。

冬至なのでカボチャも添えてみた。

 

美味しく再現できました。

最近アーユルヴェーダのカウンセリングをしてもらって、自分の体質と食の取り方、

生活習慣見直してます。

そんなに暴食しないのに、なぜ痩せれないのか!とか、、あらゆる不調の原因を探ってみました。

美味しく、体質改善!自分を労ろうと思います。

 

 

直感で動くと流れに乗ってる気がする。

12月17日。

一昨日、りょうちゃんとKちゃんどうしてるかな?てふと会話してた。

中一になった息子くんもいて、元気にやってるかな?って。

そしたら、昨日、朝イチで彼女から思いがけずラインがきた。

内容は、ちょっと辛かった。

すぐに電話で久しぶりに話して、迷わず、明日会いに行くねと。。

そして、今日。

用事がなくなった暇なあさひを置いて、埼玉まで朝早く出掛けたんだ。

大宮に着いた途端、、知らない番号からの電話。

おばあちゃんの病院からだった。

朝から酸素が低下して、すぐに家族に話があると。。。

とりあえず、家族に連絡して、誰かいけないか促した。

今、私は引き返す選択肢はなかった。

動揺で震えながら、でも、引き返すことなくバス乗り場を探した。

バスに乗ってる15分ほどの間、遠隔でヒーリングしてみる。

この間まで感じてた熱が微弱に感じる。。

とりあえず、Kちゃん親子にあってから帰ろう。。

Kちゃんと1年半ぶりの再会。

息子くんもすっかり大きくなった。

電話で私のこれまでの話をしてたから、すんなりヒーリングをさせてくれた。

家族以外の初めてのクライアント。

私にはまだ、ヒビキがよくわからない。

必要な時に最善の気づきと癒しを与える、、この言葉を信じて。

親子でも、それぞれ感じ方は違くて、かと言って治すなんておこがましいことは言えない。

彼女はとっても疲れてた。

息子くんは、お腹がやけに熱くて、、

お腹痛いことある?って聞いたら、今はないけど、辛かった日々はしょっちゅうお腹が痛くて、、と話し始めた。

もちろん私は知ってたけど、触れずにいるつもりでいたけど、ポツリポツリ話してくれた。

でも、今は痛くないと。。そっか、痛いのは嫌だよね。辛かったね、、と。

今好きなことある?って聞くと、ゲーム!

あぁ、、男子はみんなゲーム好きよね。。他には?って聞くと、

スケボー!youtube見て自分で練習してる、、後で見て!と。

うん、見たいみたい!

すっかり声が明るくなった。それだけで、私は今日、ここに来てよかったと思った。

3日前にふと思い出し、2日前に明日いこう!と決めて、私の直感を信じて行動した。

私には近い距離ではない、足の心配もあったけど、、

ここに来れたという自分の挑戦も兼ねて。

 

帰り際に、手品や、スケボー見せてくれた。

中学生とはいえ、まだまだピュアな繊細な彼だけど、、大丈夫と思えた。

大丈夫、きっと全て大丈夫になる。

手にジンジン伝わるお腹の熱を癒すことはできたかわからないけど、

自ら彼が話してくれたことで、少しは手放しできただろうか。。

なんちゃってヒーラーの私が、

私こそ、ありがとうでいっぱいだった。

 

帰りの電車で、また遠隔でおばあちゃんを感じる。

朝とは違う。はっきり熱を感じた。

きっと大丈夫だ。

そしてキラキラ波動をおばあちゃんに送り続けた。

 

最近の私は直感を大事にしている。

思い浮かんだことはすぐに実行してみる。

迷う前に。

そうすると、迷いが減ってきてる気がする。

迷いがちな私だけど、何を根拠かわからないけど、

そういう思いつきを大事に動いてみる。

そうすると、流れに乗ってる気がしてくる。

前の私なら、遠いなーとか、足、大丈夫かな、、とか、

駅でも、戻ろうか行こうか、相当悩んで決められなかったはず。。

自分でも最近の行動力は意外だったし、

清々しいくらいに、決めれてる感があって。。

自分に自信がつく。

それが内側に聞くということなんだろうな。。

 

おまけ。

おばあちゃんの危篤の知らせの日、

りょうちゃんの弟のとこに二人目の赤ちゃんが生まれた。

 

 

 

思い込みを外すこと。

12月13日。

 

あさひは、お許しでて朝から部活。

昼間にりょうちゃんと久しぶりのタイランチ。

なんか、自然と、本当に自然とね、、

色々話せた。

 

小さい頃の私や思い込みや家族のこと、

きっとこれまでも何度も話したことがあっただろうこと、、

そして、この数ヶ月の私の心の変化、、

小さい時に知りたかったこと、やりたかったこと、

今できてる。。だからありがとうって。

そして、最後にさらっと、

でね、、私、ヒーリングの勉強してんだぁ。。

ふーん。

だから、今度りょうちゃんにもやらせてね。。

いいけど、、俺、本当に申し訳ないけど効かないから、、でもいいよ。

ヒーリングがなんだかわかんないけど。。

あきがやりたいこと見つけたならそれはよかったねと。。

 

めっちゃスッキリした。

りょうちゃんに拒否られるかも、、てずっと、これも私の思い込みだったのかもしれない。

言いたいこと言えたら、本当に足の痛みが取れて軽くなって、

走れそうな気分だった。

 

1週間後、

横になってもらって、初めてりょうちゃんにヒーリングをしました。

一瞬、何も感じなかったらどうしようとか思ったけど、、

雰囲気作りにヒーリング音楽かけようとしたら、

あぁ、俺そういうの苦手、とレゲェ?みたいのかけ出した。。

タオルを顔にかけようとしたら、あ、苦しくなりそうだめ、、と。

色々条件付きで100歩譲って始めた。

初めて、すぐに、何?ホカロン置いてるの?

すっごいあったかい。。と

えっ!手だけなの。。

それはすごいね、、と。

よかった。一番してあげたかった相手にしてあげれた。

本日はお試しのショートタイムで。

またやらせてねと終えた。

 

恐れずに、言ってみるもんだ。

相手の顔色よりも、時に自分の気持ちを優先すべき時もある。

自分の作った重たい壁がいとも簡単に壊せた。

一つ一つ、願いがかなってる感じがした。

幸せになる。

私の知らない、ワタシに気づき、

足の痛みもそこからくるのだと気付きつつも、

かと言って、足の痛みがすぐ取れるもんでもなく、相変わらず痛い。

それとも、まだ私の知らないワタシがあるのか、、?となんだか悶々としてしまう。

 

そうだ、髪を切ろう!とイメチェン。

なんとなく、今までしてみたかったアシメにしてみた。

なんかいつも通りの普通が嫌だったんだ。

格好は普通だけど、普通って言葉がフツーに嫌い。

 

でね、カラーをしてもらってる時に見つけたブログに心揺さぶられた。

ameblo.jp

 

あなたは

 

「家族のからみあった因果から抜ける、最初の1本」

 

となる人です。

 

、、、と。読みながら鳥肌立って、ざわざわした。

風くんも歌ってたわ。

ぬけた アホなゲームいちぬけたって。

 

レイキのテーマでもある、『安心立命

自分の中に幸せを見つけ、周りも幸せにする。。

 

そして、このブログに書かれてる因果を消す方法、、

私も実践できてるのではないかと。。

 

なんかね、、

この数日の流れ、レイキを取得したのもそうだし、

父の日記や、波動セラピーやエルモリヤ を通じて、、

そして、今日、このブログに出会って、、、

 

私の生まれてきた使命はこれだったんではないかと気づいた。

2歳の時に死にかけて、復活してまで、

私はこの因果から抜ける最初の1本になるために。。

 

ずっと考えてた、。

私の生まれた意味を、生き返った意味を、、そこまでして私のやるべきことって何?

やりたかったことって何?って。

 

デザイナーになることや、

あさひを世に送り出したことではなく、

まぁ、それも私の一部なのだけど、

もしかして、

レイキを習って、この境地に至るまで。。。

これだったんだと。

そして、シンプルにそれは、誰にでもそうで、、

因果を抜ける最初の一本、、、=『幸せになる』ということ。

巡り巡って、シンプルに、

『幸せになる』ということ。。

 

それって、生まれてきたみんなにとって与えられた権利。

そして、誰もが願い、シンプルな答え。

そんなの当たり前じゃんって答えなんだけど、意外と素直にそれを言えるって

気づいてない。

青い鳥探して、帰ったら家にいたじゃん!ってみたいな。。

そんな気持ちになった。

 

幸せにもいろんな形がある。

お金があるから幸せ?

子供がいるから幸せ?

お金がなくても、子供がいなくても、幸せな人もいるし、

お金があっても、子供がいても不幸な人もいる。

ただ本当に、外側に幸せを求めるのではなく、

内側から安心できることなんだと思う、自分自身が。

ぶれない自分が。

安心しきると、恐怖なんて消えるし、死ぬことさえ、怖くない。

全て学びなんだと気づく。。悟りですわ。

最終的にそれを自分の中で腑に落ちた答えを導き出すこと、、が幸せにつながるプロセスなんじゃないかな、、と。

 

私の使命、、そして誰もがの使命に気づいた日でした。

すっきりした。

今日は一粒万倍日。良き日になった。

 

おまけ。。

私が謎解きに答え導き出せた日。

あさひは、仲間数人と部活を停部になった。

理由は、人間関係の揉め事らしいが、聞いてると、どうやらあさひは悪くなさそうだ。。

ただ知らないうちに人を傷つけてることもあるかもしれないし、また明日事情聴取があるらしいが、、とりあえず様子見。中2男子色々あるさ。

そして、テストの結果も帰ってきて、それはそれは良い結果だった。◎

なんだか浮き沈みの色々あった一日。。

 

おまけその2。

というわけで、部活なしで早く帰宅したあさひに、私の一連の話をする。

あさひは素直に聞いてくれて、よかったね。いいじゃん!やりたいこと見つかってと。

そう言われて、嬉しかった。

ついでに父の話も少ししたけど、、

あさひは冷静に、ゲームは右か左か選んで、死んでも、またすぐに、生まれ変われるけど、それとは違って、人生って選択肢はいっぱいあって、自分で選べて、前に進むけど、やり直しのきかないゲームみたいなもんだねと。。

でも、いつでも自分次第でやり直せるのも人生だよと付け加えた。

ママは自分のやりたいことを見つけるのにこの歳までかかったけど、

あさひも自分の人生、やりたいことやりなねと。。

昔、あさひが10歳の時に、ママに言ったんだよ。

人生一度きり、好きなことしなって。。

そうだっけ。。

 

いろんな気づきのおかげで、色あせてたありきたりの毎日がキラキラに変わる。

人生て面白いと気づく。人生は常に謎解きなんだと思う。自分を知る旅。

 

 

 

 

 

 

父の日記

亡くなって、もう28年経つ父の日記が出てきた。。

亡くなる最後の1年から父が倒れるその日までの。

 

小学生の頃に、父から日記をつけるよう習慣づけられた。

半ば強制で、たまに抜き打ちで書いているかをチェックをされる。

だから、書く内容も、さほど自由じゃない体裁的な書き方だったり、

何日も書いてなくて、ごめんなさいと書いてる日が多かったり、、

そんな日記が今でも数冊残ってる。

でも、今読み返してみると、

自作の絵本を書いてみたり、

神様の詩を書いてあったり、

それはそれで微笑ましくて、今、私がこうして綴るブログにも通じてるのかと思う。

 

父の日記は、母の断捨離で思いがけず発見され、

日常が、事細かに書かれてた。

毎晩酔っ払っては、梯子した飲み屋やスナックの名前と正確な時間まで記してあって、

翌日には二日酔いと書かれてたり(笑)よく明確に書けるなと驚き。。

バブルの時代だったから、お金の資金繰りの悩みや、仕事の悩み、

私たちはまだなにも知らない学生で、当時はお金の苦労なんて微塵も感じなかったから、

本当に父一人抱えた苦労とプレッシャーは計り知れない。。

体調の不良が続いたり、いろんなことがうまく回らなくなっていく様の苦しみが書いてあり、

本当に押し殺しながら泣くほど、辛く重たかった。

 

父が亡くなる1ヶ月前のお正月、、みんな初めてそして最後の父からの手紙を一人一人お年玉と一緒にもらって、、今でも、それをみんな大事にとってある。

その翌月の祖父の命日の法事で父が倒れるのだけど、、日記もそこで終わってるのだ。

当時、、

なぜ父は手紙なんかくれたんだ。。自分が亡くなるのをわかっていたのか、、と思ってた。

だから最後に手紙を残したのかなっって。

でも、日記を読んでわかったのは、、

父は最後の1年苦しくて、苦しかったけど、

人生を諦めてはいなかった。むしろ1から再スタートを切るつもりでいたのが書かれてた。

希望とやる気に満ちていた。辛い1年だったが、もう一度やり直そうと。。

 

子供たちのため、病気の父のため、親戚のため、、いろんなしがらみに縛られ、

働いて、体を壊して、自分を見失っていく父の姿だったけど、希望を捨ててなかったことが

切なくもあり、嬉しかった。

改めて、もらった手紙を読み返すと、、

それぞれ、父ができなかったこと託したような内容だった。

私たちに宛ながら、自分に宛てた手紙だったんじゃないかと。。

そうして自分を奮い立たせようとしたのかも、、。

私たちに父が残してくれたものは、結局、あの手紙だけだったけど、日記を読んで、

より意思が伝わったのだ。

 

人生に翻弄されず、自分の人生を行きなさいと。。

 

私は、今、、それに気づき始めたよ、、と思った。

今辿ってる道は、今までの中で一番自分らしく、選んでる毎日だよと。

 

そう言えば、今オーラソーマで使用してるエルモリヤ のメッセージを思い出した。

汝の意志であって、私の意思ではない。。

 

そしてもう一つ。チャレンジとして、、

過去に自分の父親との間に生じた大きな問題を、いまだに克服していません。おそらく精神的に虐待されてます(多かれ少なかれ、洗脳を受けていますが、必ずしも父親から受けたとは限りません)。いつも自分を気にかけてくれる人を求めています。人生のあらゆることをネガティブに捉えます。自分自身とうまくいかず、自分の属している文化とつながっていないと感じています。すべてのレベルにおいて妨げられている人です。

 

と、あって、この意味がずっとわからないでいた。

でも、なんとなく、この日記といい、先日のセラピーといい、、

父ということではなく、私に滲み入る、知らず知らずのネガティブ感情をまざまざと体験した気がします。

そして、ちょうどエルモリヤ を使い切ったのでした。。。

 

エルモリヤ よ、ありがとう。

父の最期の記憶を塗り替えてくれてありがとう。

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ごめんね、ワタシ

今日、波動セラピーというものを受けました。

全く、前情報なしで、私の不調を心配してくれた友達Mちゃんの紹介で、、

でもその友達の紹介は間違い無いので、内心ドキドキのワクワク。

まず電車で1時間、駅から歩いて15分ほどという距離を、この痛い足をひきづっていけるのかという不安も抱えながら、、でもなんとか不思議といけた。

そこはシンプルなサロンで後で調べると、全身の波動をスキャンしてバランスを調整する機械のようなもの、、その間、ずっとカウンセリング。

その方は、私の状態とシンクロできるらしく、、、

 

来てすぐに、うぉー!って泣きたい?叫びたい?ことあるでしょ。

心が荒れてると言われて驚いた。

私の治らない不調の原因は、、、私の気づいてない潜在意識から来るものだと。。

ピンとこず。。

そういえば、ここ来るまでの1時間の電車の道のり。。

今日はおばあちゃんの誕生日でなかなか会えないおばあちゃんの写真が毎年の誕生日の様子でFBに挙がったのをみて、スマホの写真からメモリーを編集して、思わず、泣きながらここまで来たことですか?と。。違う。

そういや、、Mちゃんにも前に、私に色々苦労の連続だったんだねと言われたことがあって、

その時もピンとこず。。

それから、なんかあったかな、私?と考えてみたけど、思い当たらない。

そのことを話すと、大抵いろんなことがありすぎた人は大丈夫と蓋をするらしい。

そして、蓋をし続けて、自分を労わらない結果が痛みとなって症状に出てくることがあるらしく。。

そう言われても、ピンとこず。。。

今ですか?昔ですか?

今は、私だいぶ人が変わって、すごく毎日穏やかなんですよといったけど、、

多分、ずーっと昔かなー、、今では無い。と。

先日のレイキレベル2の時も過去のカルマに向けてのヒーリングを教えてもらったけど、

私には関係ないやと思ってたほどなのに、、、。

それでも、先生は、、んー、なんだろ、、なんか絶対あるんだよ、、と。

で、色々話していく中で、私の場合、、コレッといった衝撃的な印象に残る、封印したくなるような事件はないものの、、(たぶん)

きっと、生まれ育った当たり前にあった家庭環境や、国籍のこと、父のこと、家族の病気、お金の問題、、そういうしがらみ、人間関係。。のなかで培われた染み付いた私の思考が邪魔をしていたり、、周りの結構な不幸な?環境に身を置きすぎて、

自分の悩みをこの程度はと軽んじていたこと。そして、周りの心配ばかりしてきたこと。

心配のあまりそれが常に頭にあった、、、特に旭という存在が生まれるまで、生まれてからは心配の矛先は旭に向くのだけど。

悩む癖がついて、悩みがないと落ち着かないというか、どうでもいいことに悩んでたり、

悩みを作り出したり、悩んでる自分の方が活性化するというか、、、。

変だけど、そういうところはあるかも。と。

昔、誰かに言われたことある。悩むの好きだよね。。て。

大家族だったから、人の数だけ悩みも尽きなくて、姉妹も多い分、女ばかりというのもあって、悩みや愚痴は日常茶飯事で、、染み付いていたのかも。誰かが悩んでると、みんなで解決みたいな。。。

だから今だに、放って置けない。仲がいいといえば、そうなんだけど、、

頼りあってる。。依存って言うのかな、、。

私の最近の目覚めのプロセスも、、これから時代が大きく変わることも、

みんなに教えたくて、一緒に乗り越えたくて、

家族向けの小さなライングループに私が得た、気づきを発信してたりする。。

みんなで良くなりたくて。

周りはどうかわからない。うざいと読んでない人もいるかもしれないけど、それで、

救われたといってくれる家族もいたりしてうれしかったりもする。

とにかく、、、悩み、辛い、苦しい状況が当たり前の家庭環境だったので、

いやいや、もちろん楽しい、幸せ、団結っていういい側面だって、もちろんあるわけで、、。

ただ、そういう中で育つと知らず知らず、私の中で、私だけ幸せになれないって発想になってたりもする。。

私だけ、子供がいてごめんねとか、

私だけ、生活が安定しててごめんねとか、

なんだろう。。変な罪悪感があったと言うか、、

その分、みんなであさひを可愛がったし、お金の面でも協力したし、

みんなが幸せになれる方法を模索して、

そう言う意味でも今に行きついてレイキを学んだわけで。。

だから、私の悩みなどみんなに比べればちっぽけと。。

話の中で、、

あさひの話になって、、

息子が去年は骨折を3回もして思うように、試合も部活もできず、やめられず、

友達関係も微妙で、、でも今年になって、私があまり心配しなくなって、そしたら案外楽しそうで、、

息子も、今年こそは怪我しないって決めたから怪我してないんですよ、あざや肉離れはしてますけど。。試合にも出れて頑張ってと言う話をしたら、、、

私の問題点はそこ!と言われた。

 

怪我してないんですよ、、あざや肉離れはしてるけど、、、

 

それは十分立派な怪我ですよって。

 

そうやって、苦しみのハードルをあげてる。。

自分も悩みがあっても、周りに比べたらこの程度は悩みじゃないと思ってると。。

 

はぁ、なるほど。。確かに矛盾してる。

 

と言う、、。

でね、その時はっと気づいたんです。

 

私が目覚めた気分でいたけど、まだまだだったと。

現実は全て私が作り出してる。。

 

母のことを、なんで、こうなんだろう。。本当はすごい

いっぱい抱えてるはずなのに、大丈夫と笑ってる。。といったこと。

 

みんなに自分軸、自分を大切に、、と言ってきたこと。

 

私が言ってきた事全て、私自身に言ってたの?

目の前のことは全て鏡に映った自分とも言われるけど、、まさにこのこと?

と、走馬灯のように、、私の中でこだまする。。

 

その小さな自分に対しての無視が、、こんなにも痛いのか。。

小さい時の環境は、変えられないし、それが当たり前だったから、不幸だとも思わないし、

気づかない。。でも、側から見ると、、そうそう当たり前ではないらしく。

私だけでなく、家族みんながじわじわ染み付いた潜在意識の中で今の不調をつくりだしてると言うことにつながる。

心から私がマインドを変えれば、、私が心からハッピーになることを自分に許せば、、

今からでも、変えられる。

そして、それをまた受け継ぐこともなく、あさひにとってもハッピーなのだ。

怪我を怪我と認めないでいたら、あさひもそう言う思考になってしまう、

言えなくなってしまうのだ。この程度だと我慢しなきゃとか、、。

まぁラグビーに関しては怪我のハードルはちょっと基準が狂ってる気もするけど。

何事においてもだ。。

こんなにも家庭環境、幼少期は大切なのだと思い知った。

本当に私は無意識なのだから。。むしろどの家庭もこんなもんじゃないの?って思ったりもする。それでも、うちはちと複雑だった。だから自分にケアが必要だったのだ。

こんなにも痛いなんて。。

 

そして、ホメオパシーを3つぶその場でいただきました。

軽くツボを押してもらって。

そして行きよりも足取り軽く、買い物までしながら無事に家にたどり着いた。

 

一番の理解してるはずの自分を許してあげれなくて、

ごめんね、ワタシ。